東京アラフィフおひとりさまOLのひとり遊び

東京で縛られず紛れて生きるおひとりさまOLのささやかな毎日の楽しみ

おひとりさまは鬱がちになって当たり前

毎日の生活で

接する人が、主に仕事関係の人になるなら。

つまり、

「味方」とはいえない、利害関係ある、緊張感を必要とする人としか主に話していないことになったら。

 

家族など、緊張感がいらない、「味方」と話すことがないなら。

 

だんだん鬱がちになってきて当たり前だ。

 

そしてそれは意外と、ハッとするほど、

一人暮らしおひとり様は、ありうるのだ。

一日の中で、

ある程度の「緊張感」「利害関係」を持つ人としか接していなくないか!?て感じ。

例えばコンビニで物を買う一つでもそうでしょう。お店の人はお金払わなかったら警戒する。利害関係ある相手。きちんとしないといけない。

 

それは、対人に対してネガティブになってきて当然だよ。

その逆、バランスを取るもの。

つまり「緊張感を和らげる」「利害関係がない」人と接することがないなら、

ただ対人は緊張するだけのものになっちゃってる。

 

弱ってきたら、

「周りは敵ばかり」て感覚になって、

対人そのものを避ける方向に進むのも、それは当然の流れと思う。

 

どうするか。

「仕事帰りの行きつけの飲み屋さんで女将さんと話す」

みたいな行動は、

(まあ結局はお金を払うわけだから利害関係あるんだけど、、、)

「緊張感なく、味方になってくれる人と話したい」

という感覚の解消のための行動に近いんじゃないかな、と思う。

 

利害関係のない相手と接する時間。

それは社会人になったら実にむづかしくなり、

結局は学生時代の友人しかそういう相手はいないのかもな、、、という感覚。

 

趣味の友達、というのを作ろうといろんな習い事に通ったことがあったが。

結局、

バックグラウンドが当然違うわけで、

職業を聞かれると、色々頼ってこようとする人が出てきたりして、

とても疲れて、(そんなの対等に友人関係になんてなるわけがない)

やめてしまった。

 

定年が近くなると、同窓会をしたり、昔の仲間と会いたがる傾向ってあるというが、

本当に、そこは、「帰ってくる場所」なんだと思う。

彼らこそが、

社会の中で肩書きを持って生きる自分でなく、

何者でもない「素」の自分を知っていて、利害関係なく緊張なくいられる貴重な場だと、みんな知ってるからだろうなと思う。