おひとりさまは鬱がちになって当たり前
毎日の生活で
接する人が、主に仕事関係の人になるなら。
つまり、
「味方」とはいえない、利害関係ある、緊張感を必要とする人としか主に話していないことになったら。
家族など、緊張感がいらない、「味方」と話すことがないなら。
だんだん鬱がちになってきて当たり前だ。
そしてそれは意外と、ハッとするほど、
一人暮らしおひとり様は、ありうるのだ。
一日の中で、
ある程度の「緊張感」「利害関係」を持つ人としか接していなくないか!?て感じ。
例えばコンビニで物を買う一つでもそうでしょう。お店の人はお金払わなかったら警戒する。利害関係ある相手。きちんとしないといけない。
それは、対人に対してネガティブになってきて当然だよ。
その逆、バランスを取るもの。
つまり「緊張感を和らげる」「利害関係がない」人と接することがないなら、
ただ対人は緊張するだけのものになっちゃってる。
弱ってきたら、
「周りは敵ばかり」て感覚になって、
対人そのものを避ける方向に進むのも、それは当然の流れと思う。
どうするか。
「仕事帰りの行きつけの飲み屋さんで女将さんと話す」
みたいな行動は、
(まあ結局はお金を払うわけだから利害関係あるんだけど、、、)
「緊張感なく、味方になってくれる人と話したい」
という感覚の解消のための行動に近いんじゃないかな、と思う。
利害関係のない相手と接する時間。
それは社会人になったら実にむづかしくなり、
結局は学生時代の友人しかそういう相手はいないのかもな、、、という感覚。
趣味の友達、というのを作ろうといろんな習い事に通ったことがあったが。
結局、
バックグラウンドが当然違うわけで、
職業を聞かれると、色々頼ってこようとする人が出てきたりして、
とても疲れて、(そんなの対等に友人関係になんてなるわけがない)
やめてしまった。
定年が近くなると、同窓会をしたり、昔の仲間と会いたがる傾向ってあるというが、
本当に、そこは、「帰ってくる場所」なんだと思う。
彼らこそが、
社会の中で肩書きを持って生きる自分でなく、
何者でもない「素」の自分を知っていて、利害関係なく緊張なくいられる貴重な場だと、みんな知ってるからだろうなと思う。