医師に向いているのはどんな人か(独断と偏見)
自分が体調が悪くても、患者さんというのは基本的に具合が悪くて弱っているから受診するわけで。
エネルギーが低い状態であるわけで。
「助けて欲しい」という形で診察にいらっしゃる。
それに対峙する医療者(医師)は、
それを受け止め、ざっくりいうと「解決策を見つけ」てあげる役割。
助ける側は、助けて欲しい側より、
エネルギーが高い状態、でないといけない、というシンプルな構造であることは、
基本なわけだが。
医療者も人間なので。
自分が体調が悪い時もある。
しかし外来の予約枠は「約束」であり「仕事」であるから、当然行かないといけない。
そんな時、「助けて」と言われることに対し、深層心理は「私こそ助けて欲しい」と言った状況であるものだから、
正直これは非常にしんどい。
医者は「エネルギー状態が高い」ことが求められる。
だって弱った人を受けとめて、助ける側なわけだから。
こっちが弱っている状態というのは大前提が崩れるでしょう。
患者さん側もそんなのは当然、勘弁だろう。ありえない、ってやつだ。
さらに外来だけでなく。
入院患者さんを受け持つと。
時間外でも、患者さんの具合や要求に対し、逐一ナースから報告があり
その度に病棟にその訴えを聞きに行き、困ったことに対して解決策を見つけてあげる。乱暴に言い換えるならば「お世話」をする。
自分や家族が具合が悪かったり、家族に予定があったりしても、
自分の患者さんのお世話を優先するのが基本というか、そうして当たり前と思われてる。
今のご時世、医療機関の過酷な勤務が以前よりは白日の元に晒されるようにはなったが。
医療者側の責任感、で持っている部分は大きく。
今時の若い医師は、それに早々に気づき、そのような道を選ばない人も増えている。
それはそうだ。
医師の犠牲を当然と。
特に田舎の病院なんて、24時間体制で呼び出しが当たり前で。二言目には
「たくさんお給料もらっているんだから」だ。
よく言われる話だが、時給換算したら驚くほどに安い。勤務医は。
そして絶望した医師は、静かに、「立ち去り型サボタージュ」をする。
医師の仕事は。ものすごくプリミティブには。「他人のお世話」だと思っている。ナースはわかりやすいけど。医師も似たベクトルだ。
「困っている他人のお世話をして、元気になってもらう」
なんの治療法もない、「祈り」しかないような太古の昔は
「エネルギー状態の高い人」が、
今でいう医師と同じ役割をしていたと。
過去に本で読んだ。
つまり、その人の近くに行くだけで元気になるようなイメージだろう。エネルギッシュで。明るくて。
これは私の中の究極の「医師に向いている」人のイメージ。
時々開業医さんとかにいる。
(勤務医は疲れているので、元々そんな気質でも、それが出せなくなってしまってる。。)
そういう人をみると、「ああ、この人は医者に向いているなあ」と思う。