東京アラフィフおひとりさまOLのひとり遊び

東京で縛られず紛れて生きるおひとりさまOLのささやかな毎日の楽しみ

この世を天国にしたい③「労働は罰」からの転換!

 

さらに続き。

 

「労働は罰である」

 

キリスト教カトリック?)の考え方に、上記があるという。

欧米人の働き方を垣間見ると、なるほど、、と思うところはある。(長い長いバケーションとか、日本人から見たら怠惰に見えてしまう勤労態度とか、、)

 

(ちなみに、この言葉は、

大王製紙会長の井川意高さんが、ホリエモンさんのYouTubeでチラッと言っていて知ったこと。

私は個人的に井川元会長は、過去に色々(逮捕・・)あったとはいえ、ネット番組で見かける度に、

なんって頭のいい人なんだ!と思っており、(実際、東大法学部卒だったか?)

「熔ける」という著作も持っている。

「10人の味方を作るより、1人の敵を作るな」なんて、

その本で知った、私の座右の銘になっている。)

 

この言葉を知った時、

ちょうど仕事が辛くて辛くて、「仕事辞めたい病」に罹っている時(まあ今も完治とは全く行かないけど!笑)だったのもあり、

私は罰を受けているんだ、

と思った。

朝家を出る時、

今日も罰を受けに行くんだな、私。

と思っていた。

 

しかしそれは、まさに、

「この世を天国にする」と相反する考え方ではないか、、、

 

でも、こんな「罰」なんていう考え方に納得するくらい、

労働って、辛い、やりたくないことを無理に強制されてる、っていうイメージ。

 

天国で、辛そうに、やりたくないことやってる姿って。想像し難いなあ。

同じことをしてても、天国なら楽しそうにやってるイメージだよね!

 

 

やっぱり、以前のブログでも触れたが。

労働は、(言い換えて「働くことは」という方が良いかも)

 

「暇つぶし」

 

という定義、位置付けにするのが、一番いいと思うのだ。

 

そして(ここが大事)

今はとてもそうは思えない状況、という場合は、

 

では、いかにその位置付けに持っていくか」に、注力するのが、いいと思うのだ。

そうしたら、今やるべきことを逆算できると思うのだ。

 

「労働は罰である」→「働くことは暇潰しである」

 

自分の中で、この定義にするには、これはかなり能動的に、意識的に持っていく必要があるけれど。

 

「なんで今日も電車に乗って仕事に行くんだろう?」

って自問した時、

「まあ仕事なくても暇だしな。」

「まあ暇つぶしだよね」

という、

定年後に新たに非常勤で職につく、余裕のある人の発言のようなことを、

40代の労働人口ど真ん中の自分が言ってしまうと、

自分でもその発言をした瞬間、ふっと余裕ができて、今を俯瞰できて、

良かったのだ。

 

ここはいつもそんな意識でいようとすることが、絶対に、「この世を天国にすること」に近づく一策だと思っている。